志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

 

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

押見修造の同名コミックを映画化した青春ドラマ。

吃音でうまく話すことができず、

周囲と馴染めずにいた高校1年生の志乃は、

親しくなった同級生の加代から

バンドを組もうと誘われる。

しかし、そこに志乃をからかった同級生の男子・菊地も

参加することに・・・・・・・・。(キネマ旬報からの抜粋)

この作品がオリジナルだったら、すごかっただろうけど、

でも、でも良心的な佳作として、素晴らしかったです。

ひろいもの以上と言ったら、大変失礼なくらい、

良い作品でした。80点

来年の、おおさかシネマフェスティバルの

新人監督賞じゃあないかと(笑)。

演出のリズムが、もうひとつかなと、(物語上、仕方のない部分ですよね)

思う場面もありましたが、

その、まだるこしっさを、観客にも、がまんさせた?演出は

お見事でした。

風景や音楽も良かったのですが、

あの先生の描き方。今どきの先生なんだなと。

思いやりのかけらもなし。先生、ちゃんと、せえよ!

 

テレビ”半分、青い。”

賛否両論が飛び交っていますね(笑)。

片手間、

ながらで観ていると、早いテンポで、

ついて行けなくなるみたいですが、

私は、支持します(笑)。

 

8月6日。

このブログでも、度々、書かしていただいています。

長崎、沖縄そして、終戦の日。

せめて、この時期だけでも、思いを寄せ、考えたいものです。

そして、次世代に伝えたいものです。

私も、”阪神大震災”とか、いろんなことを経験しました。

でもこのことは、天災ではなく、人類史上、最悪の人災です。

どちらがどうと言う事は、近現代史を個々で勉強して、

判断すべきだとは思います。

でも、しかし、(このブログでは、わざと、あいまいな書き方を

多くしていますが)

核の使用だけは、絶対、まちがいです。

人として、許されるものでもありません。

仮に、一歩ゆずっても、2個目を落とすなんて。

違う種類の実験道具、もっといえば、人種差別もからんできます。

中沢啓治さんの”はだしのゲン”は直後を描いていますが、

こうの史代さんの”この世界の片隅に””夕凪の街 桜の国”

井上ひさしさんの”父と暮らせば”などなどは、

戦後の被爆者の悲劇を描いています。

今も、米国の核の傘の下にいるとか、いろんな意見もありますが、

(右寄りと言われている私ですが(笑))

広島、長崎で、多くの身内が犠牲になっている者にとっては、

どんな理由があろうとも、核には反対です。

最近の、”自国第一主義”

歴史が繰り返す、世界大戦の前の兆候と言われます。

でも、

いちがいに、気にし過ぎとはいえないと

思います。