赤い河

「赤い河」

1948年米国製作  1952年日本公開

ハワード・ホークス監督

ジョン・ウェイン   モンゴメリー・クリフト出演

CGではなく、壮大な牛の大移動!

画面いっぱいに広がる迫力。

ラストは、あっさりしていましたが、見応え有りました。

 

猪木!・・・・・・・・。

いつかは、この日が来ると思っていました。

今年の3月のNHKのドキュメンタリーが

余りにも痛々しく、見るんではなかったとまで、思いました。

猪木~!

とはいうものの

ボクの猪木熱は、1970年から1976年ぐらいです。

(小学校6年生から大学生になるぐらいまでかな)

でも、一番、猪木のピーク時じゃあないかと思っています。

30歳前後で、本当に面白かったです。

華があり、大見えを切り、ワクワクさせてくれました。

馬場や吉村、そして星野と組んでのNWAタッグリーグ戦の試合。

ボクが初めてプロレスの試合を生で観たのは、1971年 2月

大阪府立体育館でのミル・マスカラス初来日での、

アジア・タッグ戦でした。

そして、その年の12月

大阪府立体育会館での、NWA世界シングル王座戦、相手は

ドリー・ファンク・ジュニア。初めて日本人が王者になるかという世紀の一戦として、

ボクも興奮しながら観に行きました。

それが、ご存じのように、病欠ということになり、その後、日本プロレスを追放脱退。

(代替の坂口も健闘しましたが)

新日本プロレスを立ち上げ、今年は

50周年という事です。

いろいろ妨害などもあり、興行が芳しくないので、

異種格闘技を目指したのは

少し思惑から外れたのかもしれませんが、

これが、当たりました。八百長の声を嫌い、プロレスこそ最強の格闘技と自認する猪木にとって

良かったのかもしれません。

何といっても、ボクにとってもですが

1974年 3月のストロング小林戦はベストバウトだと思います。

両者リングアウトかなと、誰もが思う結末を裏切り

最後のジャーマン・スープレックスホールドには しびれました。

そして、その後の、ミュンヘンオリンピック柔道チャンピオンの

ウィリアム・ルスカ戦。

腰から投げるルー・テーズ直伝のバック・ドロップ。

いやあ、鳥肌物でした。

後、印象に残っているのは

1971年 8月の ジャック・ブリスコ戦。

ともかく、相手に攻めさせ見せ場を作り

生かしながら盛り上げていく。

そしてとどめをさす。

最高のエンターテイナーでした。

異種格闘技戦の頂点の闘いは 1976年  昭和51年

あの伝説のボクシングヘビー級チャンピオン

モハメド・アリとの15回戦でした。

土曜日のお昼、みんな誰しもが観ていたといっても大げさではありませんでした。

結果はご承知のように引き分け。

さんざん当時は叩かれましたが、あのルールではあれしかないと

ボクでさえも思ったぐらいです。

弟子では、タイガー・マスクと前田日明が印象に残っています。

結婚してからは、結婚した年に1989年 平成元年5月 大阪城ホールでの

チョチョシビリ戦を妻と観に行きました。

 

この項続きます。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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