「続・社長太平記」
このブログ、3度目の登場です(2014年8月12日・2015年5月18日)。
すんません、なんせこの社長シリーズ、大好きなもので。
制作年が、昭和34年。
まだ戦後の影響が作品にも表れています。
映画は新しいから、面白いわけじゃなく、技術は進んでいるけど(人間を描く)面白さは、不変ですよね。
映画は、先週、メーカーの招待で訪れた九州・福岡と 11月に行く予定の別府が舞台。
おかげさまで、今年もメーカー表彰を頂きまして、社員一同、感謝しております。
そのときの観光で、長崎の端島、通称、軍艦島を見学させてもらいました。
私も含めて、皆さん異口同音に”来てよかった”と、
おっしゃっておられました。
波が荒れていると、上陸出来ないのですが、幸運にも
好天に恵まれ、見学することが出来ました。
長崎港から、三菱重工業の,ばかでかいドック内のイージス艦などなどを見ながら(やるなあ、三菱)、
小さな船に揺られながら、小一時間。
無事、到着。
1881年から1974年まで、
東京ドーム5個分の面積で、多い時で5.300人、当時、東京都より、人口密度がはるかに高かったということです。
そんな、ヤマの男の給料は、サラリーマンどころか、他の地域のヤマの男たちより、はるかに良かったそうです。
当時のテレビジョンの全国普及率が8パーセントだったのに対して、島では、なんと100パーセント。
奥様方も、おしゃれな服装だったらしいです。
まあ、それだけ仕事が過酷だったわけですね。
周りの壁のないエレベーターで、スカイツリーのエレベーターと変わらない速度で
地下600メートルまで降りていき、
そこから、まだ、30℃以上で、湿度95パーセント、約500メートル下へ降りるそうです。
しかし、石炭から石油。そして原子力へ。
エネルギー問題を問いかけて、ここは、閉山されました。
「進撃の巨人 ATTCK ON TITAN」の舞台でもありますが、世界遺産は
この島の建物の一部だそうです。
その後、お昼は 長崎の史跡料亭”花月”さんへ。
創業375年という 卓袱(しっぽく)料理のお店です。
日本(和)、中国(華)、オランダ(蘭)がコラボ?
通称、和華蘭料理というらしいです。
まさに、出てくるお料理は、いろんな種類があり、
”わからん”料理でした。